当院について

院長就任にあたり

当地に赴任して1年10ヶ月。全く予想外のことで急遽院長職を務めることになりました。私は永らく大阪で整形外科とがん診療の仕事をしてきましたので、内科医がいる傍らで専門領域の仕事だけやっていればいいのはとても有り難い環境でしたが、天塩という土地にあってやはりそれは虫のいい話です。専門の診療を行いつつ幅広く総合診療ができることが求められると赴任当初から感じておりましたので、ここまでは前院長の下で地域医療の実践を学ばせてもらったと今は考えています。内視鏡をしたり胃瘻を造設したり、そういった内科医ならではの技術はありませんので、高次医療機関に紹介する機会もあるかと思いますが、大病に至らないための日々の健康管理のお手伝いは、特別な技術は要しません。町民の皆さんのお顔がおよそ目に浮かぶようになり、北海道の医療事情がつかめてきましたので、ここからが本番のつもりで診療を引き継いで参ります。

話が前後しますが、あらためて私が当院に赴任してきた理由を書いておこうと思います。都会の大きな医局で悪くないポストに居ましたので、どうしてそんなところに?と周囲を仰天させてやってきました。単純な理由は、学生時代山岳部で岩と雪に慣れ親しんでいましたので、いつか自然豊かな北海道で仕事したいと叶わぬ夢を持っていたことがありました。病院3階の私の部屋からは、かの利尻富士が目の前です。これは溜まりません。そしていくつか見学に回った道内の病院の中で、天塩の看護が素晴らしかったこと、都会では想像もつかない地域と密着した医療があることに大きく魅かれました。そして何より私自身、医師としてのキャリアの中でここでやり遂げたいことがありました。

実は私は世間で悪名高き「医者の息子」です。今は亡き父親は地元で産婦人科医を開業していて、ちょうど中学生だった時に富士見産婦人科病院事件というのが世間を騒がせます。営利目的に臓器を医学的根拠なく摘出していたという、メディアによる医者叩きのきっかけとなった歴史的事件です。ただでさえ多感な年代で親がその産婦人科医とあれば、その息子がいわれのない誹謗中傷を受けたことがご想像できるでしょうか。子供心に、真夜中お産に立ち会って仕事をする父親の姿は立派に見え、一方で親の金で高級車を乗り回すような「医者の息子」のイメージが世間には蔓延しており、そのレッテルを振り払おうとずっと闘ってきたように思うのです。有名私学出身者が多い中で、地元の公立出身から一念発起して父親と同じ大学に入り、あのバブル期、学生生活と言えば海外旅行にソアラ・プレリュードでデートが時代の花形で、水道も電気もない山に年に2ヶ月近く入っている私は、言わば変わり者でした。仕事の面では、ともかくどこに出しても恥ずかしくない(一流とは言いませんが)全うな医療や学問を身につけることと、いつも謙虚に平易な言葉で人と接することを大切にしてやってきました。学会で重鎮とされる先生が、とある患者さんから質問を受けて、「そんなことはランダマイズ(臨床試験)せな分からへん」と答えているのを耳にして、市民感覚とあまりにかけ離れていることに愕然としたことがあります。誰もがいいポストについて学会の重鎮になってを望む年代に入って、私にとってそれほど価値が感じられないのはごく自然な流れでした。医師としてのキャリアはもう後半です。きちんとした整形外科診療が行き届かない地域に、これまで培ってきたものを届けられたらという変わり者の思いを、天塩という土地が受け入れて下さったと思っています。専門領域を持ちつつ、幅広い疾患に対応できる医師に成長できれば、都会では到達しえなかった理想像に近づけるのではと、今最新の内科学を学び直しているところです。

医師になりたての頃、人間教育に熱心だった教授からわれわれ医局員に配られたある英文和訳があります。中でも、「君がとりわけいつくしみ深い人であってほしい」と訳された言葉 “foremost humane” が26年経った今も心に沁みて残っています。たった2語のこの”foremost humane”こそが、私と天塩との出会いであり、私を支えてきた診療姿勢の全てです。2017年10月の病院だよりに人の強さに触れたばかりですが、一方で生身の人間は弱い面もたくさん持っていて、私もまたしかりです。深い人間理解こそ医の本質だとしても、分子レベルの医学研究をすればそこに到達できる訳ではなく、ガイドラインに準拠すればよい訳でもなく、究極的には強さも弱さもあわせ持つ目の前のおひとりと向かい合うことだと思っています。その点では一歩も二歩も先を進まれている天塩の看護や介護領域、福祉の皆さんと協力しながら、この町の厚生福祉の分野で役割を果たして参ります。

2017年11月1日

病院長 橋本 伸之

病院長 橋本 伸之

<院長略歴>
橋本 伸之
平成3年 大阪大学卒業
平成11年 大阪大学医学部大学院卒業 医学博士
平成12-14年 米国テキサス大学サンアントニオ校代謝内分泌部門博士研究員
<職歴>
平成3-12年 医局関連病院(国立呉病院、国立療養所刀根山病院、市立豊中病院、神戸掖済会病院など)にて研修、および大学院にて骨軟部腫瘍の研究に従事
平成12年 大阪大学医学部整形外科助手
平成15年 大阪府立成人病センター整形外科診療主任
平成17年 同 医長
平成19年 大阪大学医学部整形外科助教
平成21年 同 学部嘱託講師 (病棟医長、外来医長など兼務)
平成24年 大阪府立成人病センター整形外科副部長兼リハビリテーション科部長
平成28年 当院に赴任
<専門医など>
整形外科専門医
がん治療認定医機構認定医
運動器リハビリテーション認定医
障害者スポーツ医
パラリンピック自転車競技の現チームドクター
<専門領域>
骨軟部腫瘍、緩和医療、超音波診断、リハビリテーション、整形外科診療全般
<著作など>
「がんを生きるための骨転移リテラシー」文芸社
がん総合情報サイト「がんナビ」、知っておきたい骨転移 15回連載
2015年日本癌治療学会 基調講演

病院概要

天塩町立国民健康保険病院

  • 名 称 天塩町立国民健康保険病院
  • 所 在 北海道天塩郡天塩町字川口5699番地の3
  • TEL 01632-2-1058
  • FAX 01632-2-3116
  • 開設者 天塩町長 浅田 弘隆
  • 管理者 病 院 長  橋本 伸之

施設の概要

規模
敷地面積 14,474.32㎡
建築面積  2,231.92㎡
延床面積  4,065.95㎡
診療部門  1,477.54㎡
管理部門  1,416.29㎡
病床部門  1,172.12㎡
構造
鉄筋コンクリート造り一部3階建
医療機器
CT X線透視装置 内視鏡 超音波診断装置
各種指定等
■救急病院告示医療機関
■国民健康保険法医療取扱機関
■健康保険法保険医療機関
■結核予防法医療指定医療機関
■生活保護法指定医療機関
■原爆医療法一般疾病指定医療機関
■特定疾患治療研究事業委託契約医療機関
■小児慢性疾患医療指定医療機関
■国家公務員災害補償法指定医療機関
■地方公務員災害補償法指定医療機関
■船員法指定医療機関
■指定自立支援医療機関

診療科目
内科/整形外科/外科/小児科/眼科/婦人科/皮膚科
病床数
48床 (内 特別室2室) 【一般30床 介護18床(休止中)】
入院基本料
一般病棟入院基本料 地域一般入院料3
介護療養型医療施設 病院療養型 Ⅱ型
この施設は厚生年金・国民年金還元融資により施工されています。

病院沿革

天塩町立国民健康保険病院外観

昭和24年4月1日 天塩町川口基線「天塩町立病院」創立、病院開設
病床数 38床
診療科目  内科、外科、婦人科
昭和38年12月1日 天塩町新栄通5丁目1147番地へ天塩町立病院移設
「天塩町立国民健康保険病院」と名称変更
病床数 68床
診療科目  内科、外科、小児科、産婦人科
昭和39年4月 天塩町外二町伝染病隔離病舎隣接 15床
昭和43年3月18日
地方公営企業適用
昭和45年3月 病床数66床とする
平成5年7月7日 開設許可変更
結核病床(18床)の廃止、一般病床48床とする
平成7年6月2日 天塩町字川口5699番地の3
天塩町立国民健康保険病院開設認可
療養型病床群 病床数48床
診療科目  内科、外科、婦人科、小児科
平成12年4月1日 開設許可事項の一部変更(療養型病床群48床→療養型病床群30床 その他病床群18床)
平成21年4月1日 開設許可事項の一部変更(標榜科の追加 整形外科)
平成21年8月1日 開設許可事項の一部変更(病床区分変更 一般病床22床→30床 療養病床26床→18床)
平成23年9月1日 開設許可事項の一部変更(標榜科の追加 皮膚科)
平成24年4月1日 開設許可事項の一部変更(標榜科の追加 眼科)
平成24年10月1日 人工透析業務開始
平成30年4月1日 介護病床休止